夏の終わり
今日で夏の講習が終了して、やっと一息ついております。

毎日毎日1時~10時まで授業をしてくたくたになる割に薄給だったりするのですが、考え方を変えれば薄給ながらも自分の才覚で得ることができているわけです。

「自分の食べる分は自分で稼ぐ」という一人前の人間が最低限なさなければならん仕事を、一応は果たせているという事実は、少ないながらも自信を与えてくれます。

おかげさんでこころは健康でいるんじゃないかと思うわけで、それは、こんな時代にありがたいことだな、と素直に喜びつつ、でも収入はもうちょいなんとかしたいと思いつつ。

そんな夏の終わり。
帰省の道中
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以下、写真のひかり474号の車内にて。

大学で東京に出てから、その後いろいろあって、神戸というずいぶんと西に離れたところに住み始めた。
かみさんの実家は川崎であるので、盆休みなんかで帰省すると、結果、その道中は私にゆかりのあるところばかりになり、帰省するために新幹線に乗ると、その道中は郷愁あふれるものになる。とくに今回のように一人で電車に乗っていると大変ヒマなので、日頃は忘れていることまで思い出してしまい、いつも困る。

名古屋には友がいる。今年は10年ぶりに旧友に出会えたので、新鮮な記憶もある。次に会えるのは何年後だろうか。
静岡は生まれ故郷であるから、数え切れない思い出がある。後悔がある。そして、また友が暮らす地でもある。しかも、私が好んで乗るひかり号は5分も停車する。いろいろ思わないはずもない。
富士界隈には親類縁者が多数暮らしている。幼い頃には本当にかわいがってもらったのに、成人してからは数えるほどしか顔を見せていない。本当に申し訳なく思う。そういえば、高校時代に世話になった知人も富士宮だ。最近連絡を取れないでいるが。
小田原を過ぎたあたりで左手に見えるこぎれいでカラフルで、ちょっとフォトジェニックな住宅街の存在を教えてくれたのは、とある旧友だった。しかし、その旧友ともいろいろあって今では縁がない。

思い出す人の今では縁が無くなっている率の高さに、昔の自分がしていたことは、まあ、まっこと人にとっては迷惑なことが多かったのだなあと思わずにはいられない。恥ずかしくて死にそうになる。そんなことで死ぬわけにはいかんから、せめて代わりに私に関わってくれたすべての人に、ごめんなさいとありがとうを言いたいところなのだけれど、そもそも連絡先が分からないわけだし、よしんば分かったとしても突然そんなことを言われても意味不明だろうし、言われる筋合いも無いと思われるだろうから、そんなことはしない。

だから、昔を振りかえるだけで仕舞にする。そして、恥ずかしくてくねくねする。これはすべて自分の不徳が原因であり、自業自得である。

そんなことを悶々とやっていたら、あっと言う間に新横浜で、新幹線ってのは本当に速いぜと思う。
連鎖
Mは地域ではNo1の公立高校に通う、高校1年生の女子だ。

中学の間は成績優秀(通知表はオール5だった)で、割と余裕を持って現在の高校に入学したのだけれども、高校に入学してからは学校の授業にまったく着いていけなくなり、先日のテストの成績も燦燦たるものであった。

彼女の勉強というのは昔から決まっている。

テスト前に一夜漬け→テスト後にすっかり忘れる

つまり、「覚えては忘れる」だけなのだが、これを繰り返していても、中学校の間は学校の成績だけは大変によかった。

もちろん、理解はせずに単に丸暗記しているだけではあるが、彼女の短期記憶力は「それなり」に優れたものであったので、中学校の学習内容程度であれば、それで十分な点数が取れていた。

だが、あくまでも「それなり」の記憶能力、そして「それなり」の記憶容量しかない。
また、頭の回転は決して速くない、というよりも、「覚えては忘れる」という頭の使い方しかしてこなかったものだから、むしろ回転は鈍く、そして要領も悪いため、彼女のやり方では高校の内容をこなすことはできず、現在は大変ひどい状態になっている。

高校範囲も、さらに大学受験すらも「暗記」と「要領」だけで片付けられるだけの力を持っていれば、このような不幸は起こらなかったのであるが、残念ながら彼女は違った。
#力を持っている人が幸福だともとても思えないのだけれど。

であれば、彼女はそのやり方を改めるべきだ、と誰もが考えるだろう。
慣れないやり方をして、一時的に成績そのものが下がったとしても、やり方・考え方を根本から改めなければ先が無いのであれば、ここは我慢をすべきところだろう、と思うのがまともな頭の持ち主の思考回路なのだが、彼女は決してそうはならない。

我々は彼女がこのような状態に陥ることは随分前から予想しており、それがために事前に様々な説得・工作を繰り返してきたのが、全て徒労に終わっている。

なぜか?

彼女は教育熱心な母親の言うことの言いなりになる、母親の忠実な僕として育てられた。
彼女にとって母親の言う事は常に正しい。母親が認めないことは、彼女のこころの中には存在しない。
もちろん、乳幼児がそのような判断を行うのは当然なのだけれども、いつまでたってもその状態であり続けたのが大変な問題なのだ。

結果として、彼女は「判断力」「決断力」「責任感」「思いやり」に著しく欠けた人間になった。

そして、それが原因で小学校時代に、いじめにあった。

いじめは決して肯定されるものではない。
しかし、事実、彼女のそういう弱点は、子どもの残酷な部分を上手にくすぐってしまったようだ。そういう残酷さを持つのが子どもというものだ。
#そして、そういったときに、周囲の大人が適切な対応を取るべきだったのだが。

彼女がいじめに立ち向かう方法として取った方法、それはおそらく母親が吹き込んだものであろうけれども、それは彼女が「優等生」になって、他者よりも優位なポジションに自分を置きつづけることであった。

ただ、勉強だけ優れていても、それでは「ガリ勉」と呼ばれてしまう。
それはつけこまれる隙になるので、スポーツも必死にやった。
身体能力でも彼女は周りよりも優位に立たなければならなかった。

そうでなければいじめられる。
優秀でなければ母親に認められない。

これらの恐怖から逃れるためには「優等生」でいるしかなかった。
周りに「彼女は万能」であると思わせなければならなかった。

そして、彼女には「それなり」の短期記憶能力があった。

これが不幸のはじまりだったのだろう。



彼女には恋人がいた。Jとしておく。
元野球部のキャプテンで、人当たりがよく、しかし適度なあほで、勉強は彼女よりも圧倒的にできなかった。

彼はとにかく人が良いので、彼女の弱い部分を必死に守ろうとした。
彼女の人格が崩壊するのを防ごうと、彼なりに尽力した。

しかし、彼女の人格を決定的に支えている「勉強の成績」という点に関して言えば、彼とのつきあいはむしろ邪魔でしかなくなってきつつあった。
ある日、私が「テスト期間中に彼から『風邪でつらい。家族もみな出かけているからそばにいてくれ』と電話があったらどうするか?」と問うたことがあったのだが「テスト期間中は勉強をしないとお母さんに怒られるから」とさらりと言ったことが、非常に印象的であったことを覚えている。

勉強ができないことは、彼女の人格の崩壊を意味する。
であるから、別れたいと思っているのは彼女であったのであるが、「自分の都合で男を捨てる」という行為は、優等生的として、完全無欠でなければならない人間としては到底許されるものではない。
自分は「捨てられた悲劇の女」でなければならない、そうでないと、自分が自分でいられない。

であるから、彼女は彼が彼女を捨てるように陥れ、まんまと彼に自分を捨てさせることに成功した。
しかし、いかに「あほ」な彼といえど、彼女のよき理解者であった彼は、彼女の意図を無意識には見抜いてしまっていた。見抜いていたにもかかわらず、彼女の策に抗うこともできなかった。
故に彼は不本意な行動を取らざるを得ず、結果ひどく傷付いて彼女の前から去った。

これにより、彼女は心の平安を保つ第一歩を踏み出した、と主観的には感じていたのであるが、陰に陽に彼女を支えつづけてきたJの存在はもちろん大きく、彼女の精神はまたも大きく崩れた。

今現在、彼女はもはや勉強などをしている場合ではないのだが、彼女にできることは、今もただひとつ。

「覚えては忘れる」

ことだけなのだ。



彼女には兄がいて、兄もまた同じ道の上を歩き、そして、進学校で落ちこぼれ、大学に進学できなかった。
母親の関心はすでに彼女にのみ注がれており、彼女も母親の期待に応えようと必死である。


彼女に決定的に足りないものは「母親の愛」なのであろうが、おそらくは与えられずに成人し、同じ思いを自分の子どもにさせるのだろう。


不幸の連鎖は続く。


※だいたいフィクションだと思っておいて間違いないと思います。
就職活動
面接で絶対に言っちゃいけないことって!?

<ちょっとだけ引用>
人事<志望動機はなんですか?
「その前に、この会社が私に選ばれたのだということをもう少し自覚してもらいたいものだな」
<ここまで>

これは、言っちゃダメだ。言いたいけど。
現状
先日、かつての生徒(現高校2年生男子)から届いたメール。

<引用>

ァド変ぇたaaa★ので登録ょろ∪<ぉ願いしますッ((>∀<)★♪+゜

☆※※※※ょv/★

<引用終わり。※※※※は名前>


17(または16)歳の男子が書いた文がこれ。
25になっても、きっと大して変わってねえんだろうな。

たまらねえな。
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