心の深淵
先日、知人と興味深い会話をしたので、その内容について申し上げる。

前々から私の読書感想文の中に出てきてはいるのだけれど、今の世の中には「趣味:『自分探しと自己愛』」な方々が結構な数でいらっしゃって、その対極に、非常に自分というものが嫌いな人々もいたりするのだけれど、要するに、いっつもいっつも自分のことばっかり考えている方々がいてはる、ということなのです。

もちろん、自分の事を考えない奴なんていないのだけれど、そういう方々は、本当にいっつもいっつも「自分」を見つめていて、「幸せ」になれるように日々向上しようとしていて、それは傍から見れば何にもしていないも同然なのであるけれども、おそらく主観的には必死であって、こういう風に冷めた書き方をする私なぞは、人の気持ちも理解できない人間の屑、などと批難されるのでしょうな。批難ごうごう。「ごうごう」って響きはいいよね。

各人が『個人』であるためには、各自がアイデンティティを確立する必要があって、そいつを確立する上で、そういう自分を見つめ直す作業はもちろん必要。なのだけれども、いつまでもいい大人が、「自分が、自分が、幸せが、癒しが」などとほざいていても、やはり何にもならんわけで、そこから一歩先に進まねばならんのに、全然その一歩を踏み出せない。

して、その一歩とは何であるのか?その先にあるものは一体何なのか。
それこそ愚問であって、その問に答えられる奴がいるとすれば、それはきっと神か気狂いだけで、本人が実地で見るしかないのだけれども、やっぱり踏み出せない。

じゃあ、踏み出さない奴に度胸が無いのか、というと、そりゃあ無いのだけれども、それが並大抵のことでは抜け出せないというか、ほとんどは抜け出せない。らしい。なぜか。

いっつもいっつも自分をみている人は、それはもう自分を見る達人ですから、きっといろいろと自分のことを分かってはるし、心の表層を見るだけではなく、その深淵までにも辿り着いているのです。すごいよ、これは。
ただ、どうも心の深淵というやつは、すさまじい引力を持っているらしく、一度深淵に触れてしまうと、なかなかその引力から逃れられんらしいのです。

おそらくは他人が触れることはないであろう、心の深淵。光が届かない心の闇の部分は、闇であるのだけれど、そこに滞在することは心地良い。そんな感じ。
それは分かる話ではあるのだけれども、深淵に長居し続ける結果は、おそらくは頭がおかしくなるか、体を壊すか、どちらにせよあまり幸福とはいい難い状態なわけで、何とかせなあかんのです。

せなあかんのですが、他人には引っ張り揚げることなぞできないわけで、できるのはせいぜい、自分を正しく見るために、心の深淵を覗き込む必要はあるのだけれども、そこに降り立つことなく覗き込むだけにしておいて、引力に捕まらないよう、深淵とはうまく距離をとってやっていく。
そういう方法を各人が構築するためのヒントを提供すること、くらいなもので、そんな仕事ができるようになれたらいいなと思いました。頑張ります。
けど、今日は塾はお休みなのでプログラムを書きます。えへん。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
COPYRIGHT © 2004 POWERED BY FC2 ALL RIGHTS RESERVED.